SUNNY HILL
「仮想」と聞くと、かなり前のことですが、日本IBMでシステムズエンジニアをしていた方が「virtualを仮想と誤訳した責任は我々にあります」と反省の弁を述べたことを思い出します。米IBMがvirtual memoryを発表した時、日本IBMが仮想記憶と翻訳しました。virtualの意味は「事実上の」「実質的」ですから、virtual memoryとは「本来のメモリーではないが事実上メモリーとして使える技術」を指します。ところが、仮想記憶と訳したため、実体がない想像上のメモリーという印象を与えてしまい、しかもコンピュータの世界でvirtualが出て来ると必ず仮想と訳されるようになりました。同氏は「もっといい訳にしておけば」と悔やむ所以です。とはいえ今考えてみても、しっくり来る言葉はなかなか見つかりません。言葉の難しさを感じます。

「言葉のインフレ」は経済のそれよりはるかに恐ろしい:日経ビジネスオンライン

英辞郎を引いてみたら確かに “実体・事実ではないが「本質」を示すもの” とあるな。してみると「ヴァーチャルな社会」なんて言い方も、英語圏の人と日本人では受ける感覚が全然違うのかもしれん。

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167 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/12/29(木) 09:07:00.90 ID:wDqhQbU80
扇風機の前で声を発するとがガラガラになる音の干渉は有名だが、ハロゲンヒーターの前で声を発するとHzが上がりハモったように聴こえるのはあまり知られていない

3分でわかる、これまでのwebの流れ
1。
webが生まれてからというもの、web上にはだんだんと情報が増えてきました。
webに情報が増えれば増えるほど、自分の欲しい情報は見つかりにくくなります。
あるところに、これを整理しようと考えた人達が居ました。
その人達は言いました。
「良いサイトを集めてカテゴリごとに分けてあげればいんじゃね?」
彼らは良いと思ったサイトを登録して、カテゴリごとのwebの目次を作りました。
これが俗に言うディレクトリ型検索エンジン。
初期のYahoo!などがそうです。

2。
さらにweb上に情報は増え続けました。
もうこの段階になると、人手では対応し切れないほどのページがweb上には存在します。
そこに来た別の人が言いました。
「システムで自動的に情報を集めればいーじゃん。」
こうして出来たのがロボット型検索エンジン。
ロボットが自動で情報収集をし、重要だと思われる順で結果を並べます。
Googleはこの順番の並べ方を工夫し、人々から重宝されました。
そのページがどれだけ他のページからリンクされているか、という他者からの評価を使って重要度を判断したのです。

3。
またまた情報は増え続けました。
この頃になると、「重要な情報って何よ?」という議論が巻き起こりました。
そこに来たのがA~Cの3人。3人はそれぞれ言いました。
A「やっぱり重要なのは知ってる人から聞いた情報だよ。ほら、口コミとかだってそーじゃん。」
そう言ってAはソーシャル党を作りました。
B「いやいや、その話も分かるけど、重要なのは「今」の情報だよ。この瞬間を感じたい!」
Bはリアルタイム党を作りました。
C「そういう問題じゃなくね?web上のページを集める段階から変えなきゃ。webページに書いてあることの意味を機械が理解できるようになれば重要な情報が分かるっしょ。」
そしてCはセマンティック党を作りました・・・。
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かなーりざっくりですが、このソーシャル、リアルタイム、セマンティックの3つが現在の何となくのwebの流れだと思っております。
つい最近まではFacebookに代表されるソーシャル党が人々からの期待を背負っていましたが、最近はtwitterに代表されるリアルタイム党が話題です。
セマンティック党は一部の人からずっと期待されていますが、なかなか思ったようにはいかないようです。
ちなみにセマンティック党には、hakiaやMicrosoftに買収されたPowersetなどが名を連ねています。
それぞれの党は本当は厳密に分かれているわけではなく、いろんなサービスがこれら3つの考えをうまく組み合わせて使っています。
が、今回は分かりやすくするために3つに分けときました。

物語の前提になっている「情報が増え続けている」ということは、今後メディアに関連するありとあらゆる人が分かっていなければいけないことだと思います。

http://84dialog.blogspot.com/2009/05/3webweb.html

わかりやすい!

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米国というと、「弁護士が多い」「バカな訴えが通ってしまう」などといった訴訟社会のイメージがありますが、著者のコリン・P・A・ジョーンズ弁護士は必ずしもそれが正しくないことを解説しています。例えば、「弁護士が多い」という点については、確かにその通りだとはしつつも

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まず、日本と比較する場合だが、実は「弁護士」という用語を用いることには大きな語弊がある。何故なら、アメリカの弁護士が手がけている業務の範囲は、日本の弁護士のそれよりもはるかに広いからだ。

アメリカで「ローヤー」(Lawyer)の資格を持っている人々がやっている仕事をざっと並べると次のようになる。日本でいうところの弁護士に加えて、検察官と裁判官(いわゆる法曹三者)も含むところまでは、日本と同じである。しかしこれにさらに、行政書士、司法書士、海洋代理士、税理士、弁理士、企業内の法務担当者、一部の地方・国家公務員、一部の裁判所事務職員、タレント事務所のマネージャー等までもが守備範囲となるのだ。
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と、そもそもの言葉の定義について指摘しています(実はこの「言葉の定義」というポイント自体、米国の弁護士に特徴的な思考パターンの1つとして挙げられているのですが)。他にも国土の広さや法制度の複雑さなど、様々な背景があることが解説されているのですが、単純に「アメリカは弁護士が多くて不自然だ」と言えるわけではないということですね。

それからもう1つ。米国ニューメキシコ州のマクドナルドで、受け取ったコーヒーをこぼして火傷を負った女性が店側を訴え、約3億円の賠償金を得たという事件。細部を変えながらも「アメリカのバカさ加減」を示す逸話として耳にしたことがある方も多いと思いますが、その詳細というか「語られていない部分」について、こう解説されています:

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もちろん、単に女性がコーヒーで火傷しただけならば3億円も払う義理は無い。女性の治療費に少々のお見舞いを足せば済む。そしてアメリカの陪審員もそういう結論に文句を言わないだろう。ではなぜ、この件では懲罰的損害賠償金を課すことになったのだろうか。実は、裁判をしているうちにいろんな事実が明らかになった。原告を勝たせた主なポイントは、以下のような事実であったといわれている。

(1) M社は意図的にコーヒーを買ってすぐには飲めないような高い温度で保存していた。その理由は、高温で保存している方が香りが良く、客に「M社は上質なコーヒーを使っている」と印象づけるためだったらしい。

(2) この訴訟が起きるまでの10年間にわたり、M社はすでに数百件のクレーム(火傷を含む)をうけており、それまでに数十万ドルの和解金を支払っていた。それでも彼らはコーヒーの温度を変えようとしなかった。

(3) 女性が負った火傷は、1週間の入院と3週間の休職を要するほど重いものだった。それでも彼女は最初は裁判をするつもりはなく、直接M社に対して実質の損害賠償を要求しただけだった。しかし、その要求は大企業のM社に一蹴された。

(中略)

こうした理由で出されたのが、3億円の懲罰的賠償金という評決だった。この金額も、思いつきで出されたものではない。M社の2日分のコーヒー売り上げをベースに算定された金額だった。

最終的には火傷をした女性にも一部過失があったため、その過失についても陪審が認めて、損害賠償の金額はそれに見合って減額された。担当した裁判官もこの評決の額は大きすぎると思ったらしく、懲罰的賠償金額を5,000万円ぐらいまで減額した(刑事事件と違って、民事事件の裁判官は、陪審員の評決を無効にしたり変えたりする権限がある程度担保されている)。大幅に減額されたことは、当然ニュースにならなかった。
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長い引用になってしまいましたが、いずれにしてもマクドナルド側に「悪質」とも言うべき過失があったことと、最終的に金額が減額されたことなどは伝えられず、「コーヒーが膝にかかっただけで3億円」というインパクトの大きい部分だけが抜き出されているわけですね。

……と書いてからググってみたら、既にウィキペディアでも詳細な解説がされています:

■ マクドナルド・コーヒー事件

恥ずかしい話、僕もこの一件は「米国は酷い訴訟社会」を示す格好の例だと思っていました。よく考えてみれば、「コーヒーが膝にかかっただけで3億円」と言われれば何か裏があると感じてしかるべきなのですが、既に持っていたステレオタイプが「そんなバカな話、アメリカならあるかもしれない」という心理状態を作り出してしまっていたのかもしれません。いずれにしても、語られている情報だけに捕われてしまってはいけない、と。

考えてみれば、冒頭の「米国は弁護士が多い」という話も、語られていない情報(言葉の定義や社会的背景)が重要な意味を持っています。あからさまなウソ(事実と異なる情報)を見破るのは意外とたやすいことですが、空白になっている部分に目を向けるのはなかなか難しいものです。誰かが意図的に作り出したフィクションに騙されないためには、「ウソをウソと見抜く」だけでなく、そこにないものを意識する努力も必要なのでしょうね。

今日、行きつけのお店で同じ店の常連さんに「絵画展になんで絵を見に行くかわからない」と言われました。

曰く、「写真で見たって、ネットで見たって一緒じゃないか。ましてや、それを高い金出して買うなんて、本当にわからない。その辺、絵画好きな人に聞いてみたいので教えてほしい」というわけです。

別に絵画大好きということもないし、絵画を購入したこともない私になんで聞くのかよくわからなかったのですが、相手もまだ若い方だし、あまり真剣に聞くもので、私も真面目に答えたものです。

「絵画には筆致(タッチ)というものがある。長い時間をかけて画家が描き、またそれ以上に長い時間をかけて今に伝わる絵画はまさに生き物。写真では、その生きザマがよく見えない。絵画を見るなら写真で充分だが、絵画を感じようと思えば、やはり生で鑑賞したい。それと、絵画は時の経過と共に価値の下がらない稀な投資物件でもある。所有するステータスと共に、ノブレスオブリージュの意識の高い欧米では、富裕層が絵画を所有し守ることが文化財保護の仕組みにもなっている」というような説明をしました。

 

一通り説明したはずですが、相手の方は納得しません。

「見ることと満足を感じることは手段と結果で同じ線上だ。絵を見て満足するなら、それがコピーでもいいはずだ。投資というなら、もっといい投資がある。文化財保護っていうが、結局は物欲の結果であって奇麗事だ。やっぱり絵画の現物をありがたがる気持ちがわからない。言葉は悪いが、スノップの言い訳としか思えない」と食い下がります。

私もどこかでおかしいなと思いながら、返答します。

「現実に本物を見ればわかるが、現物と写真とではまったく色の深みが違う。理屈にはしにくいが、存在感と言ってもいい。投資というのは目利きが大切だから、絵が好きな人が絵画を投資の対象にするのは極めて安全な選択でもある。金の使い道を持て余す富裕層の所有欲を利用することで文化財が保護できるシステムは実利的だ。それがどのような動機であれ、現実に絵画は人々にありがたがられる存在に違いない」と説明しつつ、だんだん私が絵画愛好家の代弁者になっていくさまに、いささかアホらしさを感じました。

 

結局、アホらしいと思った私の方から、「あなたが絵画の価値に納得していなくとも、絵画に価値があることに変わりがない。あなたがわからない価値だからといって、価値がないわけではない。ただ、あなたが価値を見つけられないだけかもしれない。だから、わからないと思う価値に出会ったら、人に聞く前になにがいいのか価値を探してみたらいいと思う。あなたがわからない価値であっても、他の人には大切なものかもしれないので、くれぐれもそれを踏みつけにしないように」と話を切り上げました。

 

相手の彼は、それでも「私を納得させられない程度の価値に、絶対的な価値があるとは言えない。誰かの価値観を踏みつけにしているつもりはない。ただ、私は私にわからないものが存在したままなのが嫌いだ。そう言わずぜひこのまま議論してほしい」とがんばっていました。もう充分彼の質問の意図が見えた後でしたので、私はそれ以上その話題には乗りませんでした。

こうなっては、「わからないと言う以上は、わかりようがない」

それが彼へのただひとつの答えだと思ったのです。

 

 

 

結局、彼の質問は「○○がわからないから教えてほしい」と言いながら、「○○をありがたがるなんて、気が知れない」と言いたいだけなのでしょう。

「教えてくれ」と言いながら、すでに「んなもん気が知れんわ」という答えは心の中に確固として存在しているのです。ですから、聞かれた方がいくら言葉を尽くして説明しても「なるほど!」という答えが返るはずがありません。

それは、「議論しよう」と持ちかけながら、その実は論争を楽しもうとする姿なのです。

相手が自身の価値観に揺らぎを見せれば、折伏した勝利者としての自らに満足し、相手が言いよどめば、相手に無知の知を知らしめた自らに満足し、相手が激すれば、なお冷静な論理を紡ぐ自らに満足し、相手が降りれば、ゆるぎなき鉄の価値観を持つ自らに満足するというわけです。テーゼとアンチテーゼから昇華したなにかを得ようとする姿を借りながら、相手の答えが曲がらないかぎりは自らの答えをけして曲げる気がない、堂々巡りの価値観の剣闘です。

 

そんなことを思いながら、「わからない。なぜ?」と聞く前に、本当に自分にその答えを聞く気があるのか、そこを自問自答したいものだとじっと手を見ました。

 

 

 

具体的に話題にした彼には申し訳ないのですが、今年に入ってそういう問答が何度も私の身に降りかかったもので、いい機会と記事にしました。

 

「いい大人が、アニメやゲームやフィギュアになぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったオタク叩きの記事を見るにつけ、私は思います。

 

「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」

本当はわかっているくせに - 背後からハミング (via naimononedari) (via karlmcbee) (via wonderthinkanswer) (via erohi)
2010-07-17 (via yasaiitame) (via takeakick) (via tatsukii) (via tkamiya) (via hanwarai) (via toronei) (via gkojax) (via masarst) (via konishiroku) (via petapeta) (via kotoripiyopiyo) (via mitaimon) (via uxnxcxox)

2010-07-29

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前に深夜のファミレスで見るからにチンピラっぽい奴が店の料理について因縁つけてた。
髪の毛みたいなのが入ってたとかで店長呼べだの誠意を見せろだの大声上げてた。
しばらく見てたら警察が来た。それも尋常じゃない数で。
パトカー3台覆面1台その他バイクのおまわりさん数人・・・
チンピラ「なんだ?警察は関係あらへん!帰れよ!」
って言ってたけど、私服着たコワモテのおじさんが怒鳴り返した
「お前が○○組って言うたんか!組の名前出して脅したからにはワシら暴対がわざわざ出てきて
 面通しせなあかんのじゃ!お前らがホンマに組員かどうか今から組事務所に確認いかなあかんのじゃ!
 ホナ行こか!立て! ここら辺の組事務所回るぞ!」
チンピラ「冗談ですねん!そんなことしたら殺されますやん」
ほとんど泣き顔になって懇願してた。
「そんなこと関係ないわい!組の名前出したからにはただではすまんってこっちゃ」
って強引に連れて行かれてた。

もめごとの最中にひと言でも暴力団を口にしたら大変なことになるらしい。

米国は法の縛りが緩い代わりに訴訟の場で交渉して決めるのが習慣になってる。
「訴訟を起こすような事なのかねえ」と言う感想は感覚の違いだな。
向こうの人なら些細な事で警察に苦情が行く日本を見て、
「警察に頼るような事なのかねえ、自分で訴訟を起こせばいいのに」と思うかも。
Warner-Bros (via plasticdreams)
134 名前:VIPがお送りします。 :2007/08/07(火) 15:16:53.54 ID:jBNylUO00
それが人に物を頼む態度か